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ジュニアの軌跡

ジュニアの軌跡 1998年〜2003年

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 大学2年生の冬、子供の頃から車が大好きで、夢にまで見た「自分の車」がついに我が家にやってきました。 数回の交渉を経て、契約してから納車までの間は、待ち遠しくて同じパジェロジュニアのプラモデルを、カタログを見ながら忠実に再現したものです。 それから6年、いろいろな思い出がありますが、記録にとって無いので思い出しながら書いていきます。

自分の車を買うまで

 子供の頃から車、とくにパジェロが大好きだったCozzyは、パジェロジュニアの弟分、パジェロミニがデビューしたときのインパクトは強烈でした。「軽なのにパジェロそっくりだ!」 それから1年後、パジェロジュニアが登場して、オーバーフェンダーを備えた堂々たるスタイルを見て、ずっとこの車に乗りたいと思っていました。 当然パジェロジュニアのプラモも作りました。

  車の免許は取ったものの、自分の車を買う余裕なども無かったため、たまに親のランドクルーザープラドに乗る程度でした。 しかし1997年10月のある日、バイト先の知り合いが、手放すのでマーチを5万円で売ってくれるとの話があり、真剣に悩みました。 本当に悩んだのですが、名義変更の手続きなどが面倒だったので、結局自分で買うことにしました。

 というわけで、最も欲しかったパジェロジュニアの見積もりをしてもらったら、5年ローンで何とか新車が買えそうなので、新車で買うことにしました。 新車なら、自分の好きな色・好きなオプションをつけられるし、何と言っても貯金が無いので、オプションも含めてローンが組める新車しか選択肢はありませんでした。

  そして数回の交渉を行うわけですが、当時ジムニーワイドがデビューしたてだったので、これと競わせたり、カー雑誌では、パジェロジュニアのモデルチェンジの話が出てきていたので、結構安くなるのでは?と思いましたが、もともとパジェロジュニアが大好きだし、思ってることが顔に出やすい性格なので、あまり役には立ちませんでした。 でも諸費用・オプション込みで219万を192万にしてくれたので、頑張ったほうでしょうか。 結局必死でかき集めた32万の頭金を入れ、160万の5年ローンを組みました。 月々3万ほどですが、保険が月々¥14,000ほどなので、合計月々¥34,000の支払いになります。 大学生にはきつかったです。

納車

 契約してから納車の日までは、本当に待ち遠しくて2台目となるパジェロジュニアのプラモを買い、自分の仕様そっくりに作りました。 そして迎えた納車の日、居間で道路を見つめていると、やってきました自分の初めての愛車が! 逸る気持ちを抑えて営業マンの説明を父親と一緒に聞いていましたが、ちょっとした隙にあろうことか父親が自分よりも先にパジェロジュニアに乗って試し乗りに行ってしまいました。 えっ何で!?と思いましたが、あきれて文句も言えませんでした。 やっと自分が乗ろうとしたら、ガソリンのランプがついてるのですぐに入れてくださいと営業マンから注意される。 なんだよ三菱ケチくせぇなぁ。 ガソリン満タンは契約の条件に入れておくべきでした。

1年目

 夢にまで見た愛車!はじめの1ヶ月は、バイトが終わった深夜に友達と箱根や伊豆などドライブしまくった結果、ひと月で2,000kmも走ってしまいました。 目的は無くてもただ自分で運転してドライブに行くだけで楽しかったんだよね。

  ところが1998年5月13日、いつものようにバイトの友達と、バイトが終わってからあてもなくドライブして帰ってきた途中、すでに朝になっていて渋滞が始まっていたため、ウトウトと寝てしまいました。 気づいたときには交差点で右側にそれ、目の前に中央分離帯がありました。 ブレーキよりもハンドルが反応して慌てて左に切りましたが間に合うはずも無く「バァーン!」。 ものすごい音がしましたが、それは右前のタイヤがバーストした音でした。 頭の中が真っ白になった自分を同乗していた友人が助けてくれ、道路わきの駐車場に車を移し、タイヤを交換しようとしましたが、まだ頭の中が真っ白。 そこへ一部始終を見ていたのか、紳士が助けに来てくれました。 何とかタイヤを交換したものの、何か傾いている気がする。 しかしそのまま自走して帰ろうとすると、100メートルほど走ったら右前方から煙が上がっている! 隣の斜線を走っていた車の人も驚きの口をあけてタイヤを指差している。 実は衝突の衝撃でフロントサスペンションが曲がっていて、それがタイヤに干渉していたのでした。 自走は諦めてJAFのお世話になることに…。 しばらく走ってディーラーに入れたものの、貯金がまったく無くて費用を払える見込みが無いので修理はとりあえず保留してもらいました。 結局思ったよりも安く、タイヤ代も含めて8万ぐらいで直ったんだけど、親に借金しました。 結局新車が3ヶ月で「修復歴あり」になってしまい、こんなことなら中古でもよかったなぁ、なんて思ったりもしました。

オーディオ取り付け

 ジュニアを買うとき、ボディカラーは標準色のブラックが欲しかったのですが、標準では非装備のオーディオデッキ(カセット)が限定車では標準装備だったので、限定車のホワイトを買いました。 今思えばホワイトにして良かったと思いますが、オーディオデッキは金ができたらMDに替えたいと思っていました。 やっとオーディオデッキが替えられるようになって困ったのが、純正のカップホルダー。 これはとても便利なのに、2DINのCD/MDデッキをつけようと思ったらカップホルダーは外さねばなりません。 仕方なく1DINのMDデッキにしました。

 スピーカーはそのままでデッキの交換のみなので、簡単にできるだろうと思っていたのが大間違い! 純正のデッキに使用していた取付金具を外すのに苦労し、さらに配線の取り回しに四苦八苦しました。 でもこれで車のためだけにCDをテープにとる必要がなくなったし、ダッシュボードもおしゃれになりました。 そのうちスピーカーも替えたいなぁと思っていましたが、これは結局今でもそのまんま。

マフラー取り付け

 細かいドレスアップはするものの、ローンにがんじがらめで金がながい。 それにマフラー交換をすると騒音が大きくなるので、いつしか3年がたっていた。 しかしマフラー交換をするなら、両側2本出しでスタイリング重視のオフロードサービスタニグチのダブルマフラーと決めていたので、ある日地元にある4駆ショップ「クワドロペッド」に行ってみた。 マフラー交換の相談をすると、「買ってから3年経ってマフラー交換する人は珍しいですね」と言われました。 普通の人は買ってすぐ交換するらしい。 だって金が無かったし、純正マフラーも取っておくわけでないのに使わなきゃ勿体無いじゃんなんて思ったけど、はぁそうですかと答えたのみ。 

  交換してみての印象は、やはりリアが引き締まりました。 前からの見た目より、後ろからの見た目のほうが気に入っているのはマフラーのせいかな? 「せっかくマフラー交換したんだから、リフトアップしてみたら?」なんて勧められました。 どうやらパジェロジュニアのリフトアップキットはクワドロペッドが初めて作ったらしい。 音もそんなに気にならないし、大満足でした。

カーナビ取り付け

 システム開発の仕事を辞め、北海道へ放浪の旅に出かけようと思ったときに、カーナビの必要性を感じました。 それまでは父親が車を買い替えるときも「絶対必要ない!」と言い張っていましたが。 今までがんばってきた自分へのごほうびと思って奮発しました。

  カーナビ売り場なんて興味なかったので、いろんな機種があるけど、どれが使いやすいのかよくわかりません。 取り付け場所が助手席の前のグリップしかないので、タッチパネル式はやめました。 しかし、他の人に操作してもらうんだったら、タッチパネル式でも良かったかなとも思います。

  やはり北海道ドライブでは大活躍してくれました。 ほとんど高速に乗ったことが無いので、迷わずに大間まで行けたのは紛れも無くカーナビのおかげだし、北海道に上陸してからも、1日分のルートを指定しておけば安心だし、北海道の地図は縮尺が大きいので、これだけでは不足だったと思います。 しかし、全体を見るには画面の小さいナビよりも地図が役立つので、両方必要だと思いました。 あと、TVが見られるのも大きいですね。 北海道では街灯の無い道が多いので、夜は早めに道の駅で車中泊しますが、この時にTVが見れると助かります。 もちろん電波状況が悪い場所もありますが…。

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